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『Oaxacan wood carving 進化するメキシカン・フォークアート』展
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オアハカン・ウッドカーヴィングの代表的作家約20人の作品
グラフメディア・ジーエム
九印(キュウジルシ)/LABRAVA/グラフメディア・ジーエム
Static Discos (Mexico)/山田俊彦/roughtoyz/Pavel Ooi/Blanca Malo
メキシコ大使館
2005年4月2日(土)〜2005年5月8日(日) 12:00 - 20:00
毎週月曜日 *祝日は開館
graf media gm (大阪市北区中之島4-1-17 瑛長ビル1F)
入場無料
九印 www.9brand.com、LABRAVA www.ne.jp/asahi/la/brava/
グラフメディア・ジーエム tel:06-6459-2082 e-mail:gm@graf-d3.com
corona
■ 最重要作家イシドーロ・クルース氏来日!

4月2日(土)3日(日)5日(火)にグラフメディア・ジーエムにてワークショップを予定しています。

Isidoro Cruz(イシドーロ・クルース)

1934年オアハカ州サン・マルティン・ティルカヘーテ生まれ。オアハカン・ウッドカーヴィングの最重要作家にして、最古参作家のひとり。子供の頃から木工に親しみ、やがて祭りで使用する伝統的な仮面の製作を手掛けるようになる。その後、木製の牛車製作を仕事としていたことがきっかけで、その確かな木工技術と才能を見いだされ、1968年よりウッドカーヴィング製作をはじめる。さらに、村人たちにウッドカーヴィング製作を奨励・技術指導を行い、ウッドカーヴィング・コンテストの運営にも携わるなど、作家の育成にも貢献。オアハカン・ウッドカーヴィングの爆発的ブームを導いた。
伝統的な技法をベースにした独自の手法でつくられる仮面、ガイコツ、悪魔などの作品は強烈な独創性に溢れ、最もアーティスティックでエクスペリメンタルな作家として高く評価されている。ニューヨーク、ロサンゼルスなど海外のミュージアム、ギャラリーにもたびたび招待され、メキシコのフォークアート全般を見渡しても最も知られているアーティストのひとりである。

■ サウンドトラック Oaxacan wood carving

この展覧会のサウンドトラックはメキシコのエレクトロニカ・レーベル、Static Discosの協力により制作されました。英Leafからリリースされた作品群や映画『ニコチン』のサウンドトラック(Terrestre名義で制作)などで高い評価を受けるMurcof、独Traumなどメキシコ国外のレーベルからも多くの作品をリリースしているFax、そしてKobolの3組が『Oaxacan wood carving 進化するメキシカン・フォークアート』展の展示作品から受けた印象をもとに制作したトラックを提供。このサウンドトラックはStatic Discosのスタッフによって3"CDRにパッケージされ、グラフメディア・ジーエムのみで限定販売されます。

◇ Static Discos(スタティック・ディスコス) http://www.staticdiscos.com
◇ Murcof(ムルコフ) http://www.murcof.com
◇ Fax(ファクス) http://www.faxmusik.com
◇ Kobol(コボル) http://www.kobolmusic.com

■ オアハカン・ウッドカーヴィングとは

 オアハカン・ウッドカーヴィングには、オアハカ州でつくられていること、木彫りであること以外にとくに定義はありません。驚くほど多彩な作品がつくられ、現在も進化と多様化を続ける、生きているフォークアートです。
 おもに動物をモチーフとした作品が多く、ほかにガイコツ、悪魔、聖母など宗教的なもの、民間伝承として信じられてきたナワールという動物の霊と人間が合体したようなもの、アレブリーヘと呼ばれる空想上の怪物、サボテンなどの植物、さらにこれらのモチーフを組み合わせたものなどいろいろ。素朴で荒削りなものから、精巧で洗練されたものまで、作風も多種多様です。
 作家・職人の製作スタンスもさまざまで、作品がアートとして高く評価され数千ドルもの価格で取り引きされる有名アーティストも、安価な土産品としてのウッドカーヴィングをつくる無名の職人も混在しています。
 製作しているのは必ずしも先住民だけではありませんが、どの作品にも独特の土臭さと、なんらかの共通した感覚があり、そこに先住民的な感性、先住民の伝統文化との繋がりをどことなく感じさせます。
 実は、オアハカン・ウッドカーヴィングは長い歴史のある伝統工芸などではなく、メキシコ屈指の観光地、オアハカを訪れる観光客向けの商品としてつくりはじめられた商業的な工芸なのです。1950〜60年代、オアハカ・シティ近郊の、互いになんの関係もない3つの村の3人の作家が偶然ウッドカーヴィングをつくりはじめ、それが1980年代後半に爆発的に広まったことで活気のあるシーンを形成し、オアハカン・ウッドカーヴィングとして認識されるようになります。

■ オアハカ

 メキシコ南部に位置するオアハカ州は、サポテコ族、ミステコ族など15もの先住民族が住む、メキシコでも特に先住民人口が多い地域です。メキシコで最もフォークアートが豊かなところとして、また、ルフィーノ・タマヨ、フランシスコ・トレド、ロドルフォ・モラーレスなど多くの優れた芸術家が輩出するアートの地として知られ、それらを生み出した背景にはオアハカ州の豊潤な先住民文化があります。オアハカ州の中央部、オアハカ・ヴァレーには、世界遺産に登録されているスペイン植民地時代の美しい都市、州都オアハカ・シティや、サポテコ文化の中心地だったモンテ・アルバンなどの遺跡があり、織物・陶芸などそれぞれに特徴のあるフォークアートを生み出 している村が点在しています。
 そして、このオアハカ・ヴァレーの3つの村、アラソーラ、サン・マルティン・ティルカヘーテ、ラ・ウニオン・テハラパンでは、独特の、彩色したウッドカーヴィング(木彫り)がつくられ、メキシコを代表するフォークアートのひとつとして知られています。これがオアハカン・ウッドカーヴィング(Oaxacan Wood Carving=オアハカの木彫り)です。

■ オアハカン・ウッドカーヴィングのはじまり(1950s〜1985)

 1950年代おわり、鮮烈な色彩の動物や聖人像など、現在のオアハカン・ウッドカーヴィングに近い作品をつくりはじめたのが、アラソーラのマヌエル・ヒメネスです。彼の作品はアレキサンダー・ジラルドなど海外のフォークアート・コレクターによってメキシコ国外でも紹介され、彼が名声と商業的な成功を得たことでウッドカーヴィングの市場性が認められるようになりました。さらにモチーフ、材料、絵具、技術など、あらゆる面で工夫と実験を重ねて、基本的なオアハカン・ウッドカーヴィングのスタイルとクオリティを定義づけることになったのも彼でした。しかしアラソーラで、マヌエル・ヒメネスの家族と親戚以外にウッドカーヴィング製作が広まるのは1980年代後半のことです。
 1960年代おわり、サン・マルティン・ティルカヘーテのイシドーロ・クルースが、 その確かな技術と才能を見いだされウッドカーヴィング製作をはじめるようになります。そして、ほかの村人たちにウッドカーヴィング製作を奨励し、技術を指導したことで、サン・マルティン・ティルカヘーテでは、ほかの2つの村に比べ比較的多くの作家、職人が育ち、さまざまな作品がつくられるようになりました。ただ、1980年代後半にこの村を巻き込むことになる爆発的なウッドカーヴィング・ブームに比べると、はるかに規模の小さいものでした。
 また、ラ・ウニオン・テハラパンのマルティン・サンティアーゴも1960年代おわりにウッドカーヴィング製作をはじめるようになります。この村でも、彼の家族以外にウッドカーヴィング製作が広まるのは1980年代後半のことです。
 1985年頃までは、マヌエル・ヒメネスとイシドーロ・クルースの2人の名が知られているだけで、ウッドカーヴィング作家の数はまだまだ少なく、ひとつのジャンルとして認識されるには至りませんでした。また、作風もシンプルで色数の少ないものが多く、モチーフも比較的限定されていて、現在のような多様性はありません。彼らの創造力が大爆発するのは1980年代後半になってからのことでした。

■ 進化するオアハカン・ウッドカーヴィング(1986〜)

 一部の人々だけに知られていたオアハカ州のウッドカーヴィングが、急激に有名になったのは1980年代後半のこと。欧米で注目されるようになり、とくにアメリカで爆発的な人気を博します。訪れるバイヤー、観光客が多くなるにつれ、ウッドカーヴィング製作をはじめる村人も徐々に増えていき、その数は約200ファミリーにもふくれ上がりました。こうして、特産としていたわけではないウッドカーヴィング製作がアラソーラ、サン・マルティン・ティルカヘーテ、ラ・ウニオン・テハラパンの3つの村にひろまり、非常に活気のあるシーンを形成していきます。これがオアハカン・ウッドカーヴィングとして認識されるようになるのです。
 この時期、オアハカン・ウッドカーヴィングは飛躍的に進化します。造形の凝ったもの、色数の多いものへと変化していき、より多彩な作風とさまざまなモチーフで作品がつくられるようになっていったのです。これは商品として、より多く、より高い値段で売るために、そして顧客を増やすために、それぞれの作家、職人がさまざまに工夫を凝らさなければならなかったことの結果でした。成り立ちが伝統的な工芸ではなかったが故に決まったスタイルがなく、多様化していく余地が十分にあったのです。
 しかも、木彫りという表現手段が、よほど彼らの感覚にフィットしたのか、職人たちの中から、芸術的評価を得ることが出来るような素晴らしい作品を生みだす才能ある作家が次々と登場します。彼らは、旺盛なサービス精神を発揮しつつも、クリエイティヴィティとオリジナリティのある個性的な作品を生み出していきました。そしてオアハカン・ウッドカーヴィングは、芸術的価値と商業性価値の両方を兼ね備えるフォークアートとして、ますます人気を高めることになったのです。
 このように、偶然つくりはじめられたオアハカン・ウッドカーヴィングは、それが偶然などではなく必然だったのではないか、と思えるような展開を見せて現在に至っています。産地もアラソーラ、サン・マルティン・ティルカヘーテ、ラ・ウニオン・テハラパンの3つの村以外にも徐々に広がっており、今後も新しい才能の出現や外部からの刺激などのさまざまな要因で、さらに新たなる展開があることでしょう。オアハカ州以外の地では決して生まれ得なかったフォークアート、オアハカン・ウッドカーヴィングがどのように進化していくのか、どんな作品でわたしたちを驚かせてくれるのか、ますます注目されるところです。
(Masahiro & Atsuko Yamamoto / LABRAVA)