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国や街を移動し、人が定めた「時間」をまたぐときに感じる、実は存在していた、あのリアルな「時」。 パフォーマンス当日を思う・・・写真の時間・音の時間・gmにある時間そして会場に来てくれるすべての人がそれぞれに持っている時間、この四つの時間・・・ それらを各人が各人の視点でまたぐときにまた、あの止まったようなリアルな「時」を感じる。
動く事で止まっている何かを見いだすことがある、だから僕らのvisions on the
moveはshitenを描く
今回スライドショーは3つのシリーズに分かれています。
最初はたくさんの種類のフランスの景色を通じて気ままな旅を見せ、次にmamoruのライブの合間にパトリックが、パリと北フランスのLilleの間のミステリアスな旅を見せます。最後に、厳しい都市環境を住民のポートレートと合わせた景色で深く、明るい旅で見せます。 |
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「Insignificant sightseeing」のテーマは全てのもののなかに存在します。 意味のあるも、くだらないもの、一見の価値のあるものや注意を引く全てのもの。 僕たちは歴史的に重要な光景に向かって進んでいるために、無知なまま素通りできるものはなにもないのです。僕にとっては全ての景色が同じ価値をもっています。そのことは、僕が徒歩や自転車で移動することの方を好む理由であり、それによってより多くの景色を目にすることになるのです。その場所がどこかということは問題ではなく、大阪はサラエボや香港とも等しいのです。旅は家を出発するずっと以前、朝目覚めた瞬間から始まります。この作品は世界の終わりを探すわたしの旅の一部です。 (ここでいう僕の世界の終わりとは、人類の文明化の終結であり、突然発生的な破壊ではなく緩やかに訪れる自然の終焉のことです) 僕は最終的に全体像が浮かびあがるように点と線とをつなげようとしているのです。そして、あなたは全てのものをどんな事にも結びつけることが可能となります。 この作業は非常に広範囲にわたり、insignificant sightseeing の中では断面だけが現れています。この作品は創作しているというよりも記録をしているもので、ある意味私自身アーティストというよりも科学者であるかのように感じています。 しかし、ただ盲目的に撮影するのではなく、標的をしぼり、建設物の跡や文明化の浸食を発見しようとしています。僕がばかばかしい事をしていると結論づけるかわりに、数学者のように最終結果の仮説をたてているのです。ある意味混乱が世界の終わりでのサイトシーイング:観光なのです。 |
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これは仕事なのか遊びなのか?進んでいるのか戻っているのか?パンにするのかライスにするのか?ここは一体どこなのか?そして家はどこなのか?なんでこの人と一緒にいるのだろう?こんなところで何をしているのか?ダンボールにたまった写真はまさに忘れられた記憶の断片。仕事や遊びで撮った音を聴きながら、ミルクの入った温かいPGを飲みながら記憶のリハビリしてみます。おもろい思い出、すばらしき人生。 |
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本音をいえば、移動するならゆっくりがいい。 自転車とか歩きとか、ゆっくりな方が目の前を過ぎていくものがちゃんと見えてくる。 時速1000キロで移動するのが私の仕事だ。 早さに負けて見落としている物だらけだからもっといろんな物が見たくなるのかも知れない。
冬のある日、名古屋の動物園にいた。 園内を走るモノレールの乗客は私たったひとりだった。 ぶらぶらするうちマレーバクの案内板を見つけた。 奇蹄目バク科の動物で寿命が30年、妊娠期間400日、とあった。すごい、女に生まれたら年中妊娠中。 タフな生き物だと知って姿を見たくなった。 外は寒過ぎた様で、彼等は小屋の中で2頭並び牛の様に大きな体をうつ伏せにして眠っていた。 暫くするとその内の1頭がすっくと起き上がり、笹の葉をゆっくりと口に含むとむしゃむしゃこねまわした。 象とも河馬とも似ていながら全く違う、黒と白にハッキリと塗りわけられたまるっこいからだ 伸び縮みする長めの鼻、ひょうきんに白目を剥く眼。 何処をとってもオリジナルなのに変幻自在なところが私の気に入った。
中国で獏は悪夢を食べてくれる想像上の生き物だそうだ。 この日私が見たのは実在するバクで獏ではないけど、あのバクに出会えて私はたいそう満足だった。 そのありようでいつも私が探しているなさそうである現実を見事に体現していたから。
悪い夢を見ないように、奇妙なリアルが見えてくるようにそのうちまたバクに会いに行こう。 |
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